【あらすじ・ネタバレ・感想】『木枯し紋次郎』(東映/1972年)

こんにちは、館長のおのまとぺでございます。

今回は『あっしには関わり合いの無いことでござんす』の名台詞で有名な『木枯し紋次郎』の東映映画版のご紹介です。

作品情報

  • 公開日:1972年6月21日
  • 上映時間:91分
  • 製作・配給:東映

あらすじ

上州無宿の紋次郎は旅先で貸元の厄介になった際、相部屋となった左文治の誘いで日野宿を訪れ、そこでしばらく草鞋を脱ぐこととなった。 紋次郎が竹林で楊枝を削っていると、男に追われている女に助けを求められ彼女を匿うことになる。 女はお夕という堅気の娘だった。 それ以降、彼女は竹林の紋次郎のもとを訪ねる様になるが、渡世人の紋次郎はこれを受け入れなかった。 ある晩、そのお夕を手籠めにしようとした十手預かりの仙松を左文治が斬殺してしまう。 左文治は島流しになれば命だけは助かるというが、病身の母がいるためその世話を紋次郎に頼み込む。 しかし、紋次郎は左文治に母親の死に水を取らせてやろうと自ら身代わりとなり、三宅島へと島流しになったのだった。 左文治は母親が死んだら自首すると約束した。 島流しになるその日、罪人船を追いかけてきたお夕は小舟から身を投げ入水してしまう。

かくして、お夕への思いを胸に紋次郎は三宅島にて左文治と入れ替わりに島から出る船を待つ日々となった。 清五郎から島抜けに誘われるも左文治に迷惑がかかると、これを断り続けていた。 しかし、ある日の新たに配流となった罪人から左文治の母親がすでに死んだことを聞いてしまう。 また、 紋次郎が日々世話をしていた、お夕にそっくりの外見で名前も同じお夕という罪人の女が赦免状がこなかったことを苦に身投げをしてしまった。 島に残る理由が無くなった紋次郎は、真相を突き止めるため島抜けの船に乗った。 

スタッフ

  • 監督:中島貞夫
  • 脚本:山田隆之、中島貞夫
  • 音楽:木下忠司
  • 撮影:わし尾元也
  • 編集:堀池幸三

登場人物

  • 木枯し紋次郎(菅原文太):上州新田郡三日月村出身の流れ者。 日野宿の左文治のもとに草鞋を脱いだ際に、末期の病身の母親の最期を看取らせてやるため、左文治の殺人の罪の身代わりとなって三宅島に流される。
  • 左文治(小池朝雄):日野宿の渡世人。 十手預かりの 井筒屋仙松を殺害するが、死の床に居る母親がいるため紋次郎が身代わりとなった。
  • 清五郎(伊吹吾郎):紋次郎と同じ船で三宅島へ流されてきた罪人。 島抜けを目論んでいる。
  • 源太(渡瀬恒彦):七歳の少女に手を出し三宅島に流された罪人。 島抜けの計画に加わっている一人。
  • 捨吉(山本麟一):元漁師の罪人。 房州で漁師をやっていたため操舵や潮を見る技術があり、島抜け計画の中心人物となっている。
  • お花(賀川雪絵):元吉原の女郎。 婚約を反故にした恋人を殺した罪で流刑になった。 島抜け計画の一人。
  • お夕(江波杏子):日野宿の両替商の娘。 仙吉に追われた際に紋次郎に匿われる。 自分が原因で紋次郎が島流しとなったため入水してしまう。
  • お夕(江波杏子):紋次郎と同じく三宅島に流されていた罪人。 妊娠しており寄り付く者もいない中、紋次郎が世話をしていた。
  • 亀蔵(西田良):三宅島に流されてきた渡世人。 紋次郎に左文治の母親がすでに死亡していることを伝えた。
  • 井筒屋仙松(小田真士) :日野宿の十手預かり。 お夕を手籠めにしようとして左文治に斬られる。
  • 長三郎(藤岡重慶)
  • 佐吉(有川正治)
  • 役人(丘路千)
  • 丈八(大木正司)
  • 流人頭(小田部通麿)
  • クス(女屋実和子)
  • 寅吉(国一太郎)
  • 半五郎(大木晤郎)
  • 村役(熊谷武)
  • 役人(玉生司郎、唐沢民賢)
  • 長三郎の子分(川谷拓三)
  • 島役人(佐川秀雄)
  • 三下(奈辺悟)
  • 流人(畑中伶一)
  • 芋泥棒(渡辺憲悟)
  • たみ(東竜子)
  • ナレーター(芥川隆行)
  • 三宅島送りにされた青年僧(笹沢左保(特別出演))
  • 左文治の子分(岩尾正隆)
  • 流人(福本清三)

感想

重いストーリーでしたがどこまでも義理堅い紋次郎のキャラクターに夢中になってしまいます。 またストーリーの展開もよく練られており、最後まで緊張感がありアッという間に終ってしまいました。 これはかなりオススメできる作品でした。

漲る菅原文太さんのかっこよさ

主人公の紋次郎を演じる菅原文太さんがとにかく格好いいですね。 険しい表情のアップだけでこれだけ画になるというのはすごいことだと思います。 また低い声でボソボソと話す演技も渋みが効いていて迫力があります。 紋次郎は多くを語りませんし、表情も豊かではない主人公です。 しかし、その制約の中で喜怒哀楽を見事に演じきっていました。

マカロニウエスタンに通じる作風

本作はマカロニウエスタンの雰囲気を感じる作風となっています。 多くを語らない流れ者の主人公であることは『ドル箱3部作』の主人公を彷彿とさせますし、またそのニヒルな存在であったり勧善懲悪ではないストーリーなどにその影響が垣間見られます。

また、互いに間合いをとり何合も剣を合わせる侍の殺陣とは違い、地べたを転がり泥だらけになりながら戦う渡世人の剣というのがいいですね。 この泥臭さが勧善懲悪とは違う本作の世界観に非常にマッチしています。  ここもヒーロー然としたジョン・ウェインとどこか陰のあるクリント・イーストウッドの違いにも似ています。

また主人公の顔のアップの陰影のつけ方や相手を斬るときの間野取り方なども影響を感じます。 そう思いながら見ていると三度笠に道中合羽という出で立ちが、だんだんとカウボーイの様に見えてくるから不思議ですね。

また、音楽もエンリオ・モリコーネを意識しているのかな~と思える作風でした。

当時の作法や挨拶の描写

決して多くはありませんが、当時の作法などの描写が興味深いです。

映画の一番最初で代貸を相手に紋次郎が仁義をきります。 ここまで長い仁義をしっかり描いている映画って意外と少ないんじゃないかと思います。 刀を後ろに回していたり、傘を外に脱いであったりと細かいところまで演出されているのでついつい何度も見てしまいます。

左文治と紋次郎が焼き魚と米を食べるシーンで、食べ終わった後の魚の骨を懐紙で包んで懐に入れています。 これは和食のマナーだそうで、食べ残しの魚の骨や皮が見苦しくないよう隠すために行っていたそうです。 懐にしまうほか、皿の端に寄せてそれに懐紙や量に添えてあった葉っぱなどを被せる場合もあるそうです。

過激な演出(※ネタバレあり)

流血シーン

時代劇の多くは血がでないものが多いですが、本作はその限りではありません。 かなりの出血が描かれています。 仙松の殺害シーンをはじめとして血糊が多用されています。 闘いのシーンでは手を切り落とされる演出もあります。 最後の左文治の目に用事が刺さるシーンもかなりのグロさです。

登場人物の死にっぷり

本作では斬られた後ももだえ苦しみながら死ぬ様な演出も見られます。 名もない子分の様な役の人間も紋次郎に斬られて断末魔を上げながら死んでいきます。  また、伊吹五郎さん演じる清五郎の最期もなかなかに壮絶です。 腹を刺されて痛みを訴えてもだえのたうちまわりながら、最後には紋次郎に 殺してくれと頼みます。 

山本麟一さん演じる捨吉の死にざまも見事でした。 散々未練を口にしたのち海に倒れ込んでいくというのはインパクトがありました。 しかし、結構鍛えてらっしゃったんでしょうか、元漁師という役どころに説得力を与える筋肉ですね。

この作品には続編に『木枯し紋次郎 関わりござんせん』という作品があるので、そちらもそのうち鑑賞してみたいと思います。

それでは、またお会いしましょう。

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