[感想]まさかのどんでん返し!!『十角館の殺人』(講談社・1987年)

 こんにちは、おのまとぺ(゜∀。)です!!

 今回は推理小説界に新本格派の時代を拓いた金字塔的作品にして綾辻行人さんの衝撃のデビュー作『十角館の殺人』を読了しました(^^) 2つの隔絶された場所を舞台にそれぞれストーリーが進行していき、後半に驚きのどんでん返しが待ち受ける傑作でした!!

  • 著者:綾辻行人
  • 発行日:1987年9月5日
  • 発行元:講談社

あらすじ

 舞台は大分県沖に浮かぶ角島。 この孤島に大分県K大学の推理小説研究会のメンバー7人がやってくるところからストーリーは始まります。 この島はかつて若手建築家として名を馳せた中村青司に買い取られ、彼自ら『青屋敷』という隠居のための館を建てて住んでいました。 しかし、ミステリーサークルの面々が島を訪れる前年の1986年に館の主・中村青司以下、その妻の中村和枝、島に住んでいた使用人の北村夫妻の4人が死亡する凄惨な殺人事件が起こり、それ以来誰も立ち入らない無人島となっていました。 ミステリーサークルのメンバーは焼け落ちた青屋敷とは別に建てられていた『十角館』という別館に宿泊します。 この館は建物の形からテーブル、マグカップに至るまで十角形で揃えられた奇妙な建物でした。

 一方、推理小説研究会の元メンバーである江南(かわみなみ)は7人が島へ渡るのと時を同じくして、謎の封筒を受け取ります。 そこには『お前たちが殺した千織は、私の娘だった』と書かれていました。 そして差出人は死んだはずの中村青司だったのです。 興味を持った江南は調査の途中で知り合った島田、そして推理小説研究会時代からの親友・森須とともに謎を解き明かしていきます。

 その頃十角館では、容赦ない死がメンバーを襲う凄惨な事件の幕が上がろうとしていました。 

角島と本土で独立して同時進行する物語

 この物語は事件が起こる角島と江南たちが謎解きをする本土で同時に進行していきます。 島は一切の通信と交通が遮断された『嵐の山荘』スタイルになっていますので、本土にいる江南たちが何をし何を知り得たのかは全く伝わりません。 逆も然り。 その様子を俯瞰している読者としては歯がゆく感じるところもあるのですが、それがまた『いつこの事実を彼らは知るんだろうか』という楽しみが生まれます。

ほとんど全員が罪を背負う

 内容で特徴的に感じたのは、主な登場人物のほとんどが罪を背負っている、もしくは罪の意識を持っているという点です。 千織の死んだ飲み会に参加していた7人はもちろん、その前に千織をおいて帰ってしまった江南と森須、そして千織の叔父であった中村紅次郎・・・島田を除いた主要人物たちのそれぞれが何かしらの罪であったり罪悪感を背負っているんですね。 なのでそれを知っている読者には誰もが次の被害者になり得るように感じられます。 また事件の舞台は角島でありながらも、手紙が届いた以上本土にいる人間すらもターゲットになり得るという漠然としたスリルがありました。

 また十角館の事件には、千織の死や角島の殺人事件が関わっているであろうことは想像に難くないものの、具体的な動機については最後まで明かされないので犯人になり得る人物の候補も広範になります。 これもまたページを繰る手を停めさせない強力な力となっていました。

きっと読み返したくなる巧妙な伏線

 推理小説の常として後出しの情報で犯人が発覚するというのは禁じ手とされています。 この小説でも犯人に至るヒントは実は序盤から散りばめられています。 しかし、正直どうでもよさそうな感じでサラッと描かれていて全然注目しないような部分なので、あとで『それかーーーい!!』となること請け合いです笑 著者に見事出し抜かれてるのに、それがまた気持ちいいんだよなぁ・・・。

時代背景がやはり昭和

この物語で大きなカギとなる千織の死ですが、飲み会におけるアルコールの過剰摂取(おそらく急性アルコール中毒)が原因となっています。

アルハラという言葉が定着して久しい現代的感覚で見ると、飲み会でお酒を飲んだからといってアルコールの過剰摂取で命を落とすというのはピンとこないかもしれません。 ただ、かつては急性アルコール中毒でなくなる学生さんが後を絶ちませんでした。

私が学生時代を過ごしたのは2000年代後半で平成時代ではありましたが、それでもまだ飲み会におけるお酒の強要という悪習は強く残っており、特に体育会や上下関係の厳しめのサークルなんかでは顕著でした。 それがこの小説の出版された昭和ともなればなおさら激しかったでしょう。 また、当時は女性の立場が今以上に弱かった上に、気の弱い千織では勧められたものを断るのは至難の業であったと思われます。 なので『お酒に弱い体質なら断ればよかったじゃないか』という現代的感覚による千織への違和感はあまり意味を成しません。

また女性の立場という点に注目すると、滞在中コーヒーや食事を当然のように女性メンバーが用意している描写が気になりました。 これには平成時代に学生であった私でもちょっと違和感・・・というか不快感すら感じました。 しかし、これも当時はそんなものだったようです。

あとはことあるごとに登場人物がたばこを吸っていたり、お酒を飲むとき缶チューハイではなくウイスキーを割って自分でハイボールを作ったり現代の感覚とは大きく異なるところが多々出てきます。 ただ、ここは違和感を感じるばかりではなく、こういう時代だったのか~と呼んでいった方が楽しめると思います。

逆に現代に当然のように存在するのに劇中で全く登場せずともそんなに違和感がなかったのはスマホです。 当時はスマホどころか携帯電話すらもほとんど普及しておらず、景気のイイ不動産屋とかがゴルフにショルダーフォン(ご存じない若者の皆さまはぜひググってください)をわざわざ背負って見せびらかしていたくらいだと思います。 なので当然劇中で一切そういった端末は登場しません。 今や電車に乗れば席に座っていようが、吊革につかまって立っていようが、みんな俯いてスマホをイジっている時代です。 劇中に一切登場しなければ多少違和感を感じそうなものです。 しかし、おそらく舞台設定が個人宅しかない孤島で、スマホがあったとしても圏外の可能性が高いというのものあってそんなに『あるべきものがない感』はありませんでした。

こういった令和と昭和の違いみたいなものを探すのも面白いと思います。 金田一耕助の活躍する戦争直後や人斬りの跋扈する幕末などとは違い、現代との連続性を感じられるのでそういった差異もより身近に感じられるのではないでしょうか。

犯人の動機にちょっと共感できない・・・

 と昭和と令和の感覚の違いに触れてはみたものの、言ってしまえば飲み会での事故を理由に大量殺人を犯すという動機については正直いって共感できないですね・・・。 しかも犠牲者の一人についてはほぼ罪が無いということを犯人は理解した上で凶行に及んでいるので、復讐とはいえ全くカタルシスはないです。 また平気で他人を利用するような人間性にもイヤな感じを覚えました。 ここは作家さんの狙い通りなのだと思いますね。 この設定のお陰で犯人の異常さというのが際立っていたように思います。

 あと最後の最後で隠し通路や白骨死体などちょっとインディージョーンズめいた展開になったのはちょっと気になりました汗 そこまでリアル路線だったのになんか急に雰囲気が変わったな~と思ったのと、4人も人が殺された島なのでさすがに警察が見落とすことはないんじゃないかな・・・と思いましたね。

 ただ犯人が発覚するときなんか鳥肌が立ちました(あのページ割は見事!!) 作者さんのフェイントに見事に引っかかり続けて最後に突き付けられた真実には驚きを通り越して、爽快感すら感じました笑 というわけで、推理小説が好きな方にはぜひ読んでいただきたい一冊です!!

それでは!!

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